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『Messenger』49号「人生を拓く命との向き合い方 ~末期がん、再発、余命宣告を乗り越えらサバイバー達~」

Messenger

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『Messenger』のバックナンバーの紹介です!

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1冊350円 ☆登場人物☆
「生かされさた命の意味 ~末期スキルス性胃がん、震災を機に復活~」の松野三枝子さん。

「自己流、がんとの向き合い方 ~スキルス性胃がん再発を乗り越えて~」の小玉仁志先生。

「走れメロス! ~未分化甲状腺がん末期から、生存世界記録更新中~」の浪野裕康さん。

「病は生きなおすチャンス ~対談・コミュニティケアの役割~」の医師・三浦正悦先生、大石春美さん。

「生きているだけで素晴らしい ~2度の心臓手術からの学び~」の石川明さん。

☆連載☆
小松うるさん「好転カウンセリング~最後だとわかっていたなら~」

ゆうさん「ゆうのひとり西遊記 ~白血病を乗り越えてアジア1年間の旅に出る」

杉浦亜紗比さん「ティウロン村の笑顔を守りたい」

私も(編集長)、命について語っています。編集長後記、タイトルは「命はそれを望んでいる」

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☆ 「表紙裏の書」は荒木大輔さん

☆ 本文レイアウト
アートFLASH 熊本県天草市本渡町本泉173‐3 TEL 0969‐23‐7220
E-mail kirin_amakusa@yahoo.co.jp

チラシ・パンフレット等印刷全般/イベント・披露宴等写真撮影&フォトDVD・アルバム作成など

☆ 写真は大嶽幸廣さん


生かされさた命の意味
末期スキルス性胃がん、震災を機に復活 ~松野三枝子~

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松野さんは10年前、スキルス性胃がんの末期の宣告をされる。6年後、東日本大震災に被災。入院していた病院にも津波が襲ってきたが、あと1秒のところで奇跡的に救出。これをきっかけにがんが消失していく軌跡。

松野三枝子 宮城県南三陸町在住。10年前、末期のスキルス性胃がんと宣告される。しかし、東日本大震災で九死に一生を得て、心身ともに変化が起こり、がんが消失する。2014年1月、心の拠り所を作りたいと、夢を叶え、レストランをオープン。「農漁家レストラン松野や」 住所:南三陸町入谷字鏡石23-5 電話:0226-46-4986 営業時間:11時~14時(水曜定休)日替わり定食は540円リーズナブル。


自己流、がんとの向き合い方
スキルス性胃がん再発を乗り越えて ~小玉仁志~

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24歳でスキルス性胃がん発症、再発を経て7年が経過。周囲に支えられ、自らも入院中から夢を描き、病気になる前よりも輝いた姿でカムバック。その原動力となったものは?

小玉仁志 1984年4月2日、宮城県大崎市出身。「ウラバタケcafé」オーナー。<趣味> BBQ アンティーク収集 <好きな言葉> そこにある真実が永遠の真実ではないbyエルネストチェゲバラ <尊敬する人> 父親 <はまっていること> 温泉、湯治 <これからの夢> 今まで見たことのない風景を見ること。【カフェ】ウラバタケCafé 宮城県大崎市古川穂波4丁目16-25 TEL/FAX 0229-22-6320  http://www.urabatakecafe.jp/


走れメロス!想いをつないで
未分化甲状腺がん末期から、生存世界記録更新中 ~浪野裕康~

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甲状腺未分化がん、ステージⅣ、余命1か月。この症例でこれだけ生きている人は世界にいない。今日も、トップランナーとして、世界記録更新中。

浪野裕康 1955年7月2日生まれ。大分県大分市在住。ニックネーム:ナミヘイ(波平) 。モットーは「いつも笑いと笑顔を忘れずに良かった探し」。2006年11月、甲状腺未分化がんステージⅣ、余命1か月と宣告される。極めて悪性度が高く、有効な治療方法は確立していない中、もうすぐ10年を迎える。


病は生きなおすチャンス
コミュニティケアの役割 対談 ~医師・三浦正悦&大石春美~

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宮城県大崎市にある「穂波の郷クリニック」では、在宅患者さんへの温かいケアが行われています。「いのち」に寄り添うケアとは何か、また人間の可能性について語っていただきました。

三浦正悦 穂波の郷クリニック・院長。1974年東北大学医学部卒。在宅緩和ケア医、 循環器学会認定専門医、日本在宅ホスピス協会理事。2002年8月より緩和ケア期の患者さんに対して訪問診療に取り組む。大石春美 緩和ケア支援センターはるか・センター長。日本在宅ホスピス協会理事。中学時代からの念願の医療ソーシャルワーカーになる。がんや難病の患者や家族と出会い、命の尊さを痛感、“よみがえれ命”をテーマに緩和ケアコーディネーターとして奔走中。「医療法人 心の郷」HP → http://www.kokoronosato.net/


生きているだけで素晴らしい
2度の心臓手術からの学び   ~石川明~

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2014年より、1年で2度の心臓手術、多発性脳出血に見舞われました。私が私の体から受け取ったメッセージとは?

石川明 1962年4月16日生。岡崎市出身、岡崎市在住。岡崎市羽根町にて整体院「えがお回復整体 明楽堂」を営み、後進の育成にも力を注いでいる。一般社団法人日本プロセラピスト協会では理事として人財育成者として活動している。チームメッセンジャーでは、リーダー不在の場合は『ベンキデスカ~~』も担当。ホノルルマラソン国内同時ランや練習会を企画。えがお元気整体  愛知県岡崎市羽根町陣場264 サンエイビル1F  TEL:0564-73-1651   HP:https://egao-genki.com/


<連載

ティウロン村の笑顔を守りたい
想いがあふれて ~杉浦亜紗比~

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私は「ティウロン村の笑顔を守りたい」という活動をしています。活動を始めてちょうど一年目の2008年、夫の杉浦貴之に出会いました。多くの人に活動を知ってほしくて、私は影響力のある人に広めてもらいたいという下心で、夫にも必死で?手紙を書きました。
その熱意を夫はどうやらラブレターと勘違いしていたようですが(笑)、その活動のお陰もあって、今こうして夫婦となっています。 ここでは、ティウロンの活動以外にも、私が旅した経験を日記として紹介させて頂きたいと思います。

杉浦亜紗比(すぎうらあさひ) 1977年6月21日大阪府に生まれる。愛知県岡崎市在住。『メッセンジャー』編集長・杉浦貴之の妻。美容学校の講師、ヘアメイクアップアーティスト。途上国への旅を重ね、お世話になったマレーシア・ティウロン村への恩返しがしたいと、2007年、一人で募金活動を始める。以後、NGOオイスカがサポートしてくださり、現在、貯水タンクを設置、井戸も完成し、植林などの活動を続けている。2009年長女を、2012年次女を自然分娩で有名な吉村医院にて出産。<WEB>「ティウロン村の笑顔を守りたい」http://tiulon.web.fc2.com/


好転カウンセリング~幸せの見つけ方~
~心理カウンセラー・小松うる~「最後だとわかっていたなら」

文中のどこかに入るかな

メッセンジャー変酋長・杉浦貴之の良き相談相手&専属カウンセラー

自分だけでなく、たくさんの人に、こまっちゃんこと、小松うるさんの思いと言葉に触れてもらいたく、連載をお願いした。

小松うる 1965年生まれ 2005年より対人援助活動をはじめる。東京都世田谷区内、下北沢にある、「自然体カウンセリング・自分軸コーチング」の『土曜日散歩道』代表。<HPアドレス> http://positiko.web.fc2.com/


ゆうのひとり西遊記
白血病を乗り越えアジア1年間の旅に出る ~ゆう~

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メッセンジャー29号に「しょうがないことなんて何もない!」というタイトルで寄稿させていただいた現在29歳のゆうです。そこにも書きましたが、僕は16歳で白血病を宣告されました。当時、主人公が白血病で亡くなる小説にショックを受けたものの、同時期にテレビで観た白血病患者のドキュメンタリー番組に大きな勇気をもらい、僕は復活への一歩を踏み出しました。ドキュメンタリーに助けられた僕は、今度は自分が映像の力で人を救おうと、大学で映画製作を学びます。そして大学卒業後、自らを主人公にしたドキュメンタリー映画の製作のために、アジア14ヶ月間の旅に出ました。この旅で得た宝物を、これから何回かに分けて、旅日記として皆さんにおすそ分けしていきたいと思います。


編集長後記 「命はそれを望んでいる」
変酋長のつれづれ日記 ~杉浦貴之~

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杉浦貴之がんを乗り越えるマインド10カ条、「治す道の選び方」①「治す道」を誰かに操られて進むのではなく、自分自身の足で歩んでいく。②「治す道」において、どちらの道に行っていいのか、迷うとき。③「治す道」をどんな想いで、何を基準に選ぶか」。

杉浦貴之 メッセンジャー編集長兼変酋長&シンガーソングランナー。愛知県出、身1971年5月29日生まれ。28歳のとき、がん宣告。余命も早くて半年と宣告されたが、今はがんになるよりも元気!

 

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